差別

最近のニュースで、著名人が差別的な言葉を言った、というのを見ることがある。

 

しかし、〇〇という単語を発した、というだけでは差別的だとはいえないのではないだろうか。

 

差別的な発言は言葉自体ではなく、どういう意味でその言葉を使ったかによるのではないだろうか。

 

差別的な意図がないのであればどんな言葉を使っても差別的と決めつけることはできない。

インターネットにある批判コメントについて思うこと

芸能人のスキャンダルや、重大な事件の報道などで、インターネットで批判するのは良くないと思います。

 

たとえ、100人殺した死刑囚であってもです。

 

この例で言うと、被害者家族が悲しんだり、

怒ったりするのは当然だと思いますが、

その事件に関係のない、報道で見たことしか

分からない人が批判するのはおかしいと思います。

 

また、悪いことをした人には、[キモい]、[死ね]、

などの酷い言葉を使ってもいい、というイメージ

があるように思いますが、はっきり言ってこれは

いじめと同じではないでしょうか。

 

[いじめのに理由はない]、[いじめた奴が悪い]

とよく言いますが、さっきの話が良いのであれば

[いじめには理由があるし、仕方がない]

となることもあると思います。

 

みなさんはどう思いますか。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

楽しく生きよう

今まで、止まることなく進歩し続けてきた人類だけど便利を突き詰めるとやることがなくなるような気がしてきた。

昔の人は職業が決まっていて、自由じゃないのだけれど

何をしたらいいか

考えなくても良かったんだな、あの時代の人は。

と思うようになった。

最近生きる意味を考える人が多いのは、

何もしなくてもどうにか生きれてしまうからではないかと思う。

だからこそ、楽しめる何かを持つ努力をするべきだと思った。